みちしるべカレンダー令和三年二月の書です。
みちしるべカレンダーは黄檗宗青年僧会発行のものです。
『紅炉一点雪』
『紅炉(こうろ)一点の雪』は碧巌録(へきがんろく)に記された禅語です。碧巌録には、『紅炉』と『一点の雪』の間に「上(じょう)」という文字が入り、『紅炉上 一点雪(こうろじょう いってんのゆき)』となっています。燃え盛り紅色になった炉(ろ・いろり)に一点の雪がふわりふわりと舞い落ち、その雪が瞬く間に消え去る様をあらわした語です。
この語は、有名な戦国時代の武田信玄と上杉謙信との戦いの中でも問答で出てきた語です。川中島の戦いとは別ですが、朝靄がまだ晴れていない間に、上杉謙信が一騎で武田軍の本陣へ攻め入り、作戦を練っていた信玄に一太刀を浴びせようとした時の話です。
上杉謙信「如何(いか)なるか是(これ)剣刃上(けんにんじょう)の事」と問い、刀を下ろしました。
武田信玄『紅炉上一点の雪』と答え、持っていた鉄扇で謙信の刀を振り払います。
最初の謙信の問いは、「刀で切り捨てられそうになり、何を思う」といったものです。それに対しての信玄の答え『紅炉上一点雪』ですが、「紅色になった炉に振り落ちる一点の雪のように、運命に任せて生き切る」という意味を込め発したものです。死を目の前にしても生きることに執着をしない、このような大事でも分別をせずに今を生き切り刀を受け止めたのでしょう。
この『紅炉上一点雪』は、禅林句集では『紅炉』を心に例えた注釈がなされています。「忽ち(たちまち)何の跡形も無し。智慧の光に逢うた煩悩のこと。」となっています。燃え盛り智慧の光を持った心(紅炉)にひらひらと煩悩(雪)が寄ってきても、瞬く間に消え去るだろうという意味です。
どんな句・物事において同じものでも捉え方によっては違うものになっていきます。寛容な考え方を持てば、新たな気付きや兆しが見つかるのではないでしょうか。
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