月初めですので、本堂・八仏・墓地(一般墓・永代供養墓の観音さまとお地蔵さま)・水子供養の数珠掛け地蔵尊への回向を行いました。本日の朝もですが、最近では朝夕の冷え込みを感じる様になってまいりました。秋らしく、空がだんだんと高くなり空気が澄んできています。京都新聞の『新・暮らしの歳時記』にも書かれていたのですが、この時期は月の出が毎日約50分ずつ遅くなるそうです。これは中学校の理科で習う内容だそうです。
さて、本日10月1日は中秋の名月です。これは、旧暦の8月15日の十五夜(じゅうごや)にお月見を行うことを指します。旧暦の秋は7・8・9月となっており、丁度真ん中の8月の15日を「中秋」としていました。その日に上がる月のことを「中秋の月」と呼んでいました。
この中秋の名月で連想されるものに、お月見団子やススキがあります。このススキは「秋の七草」の一つです。七草は、七草粥(ななくさがゆ)の『春の七草』だけではなく夏・秋・冬の四季全てにあります。秋の七草は、ススキ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ・ハギです。この「秋の七草」は、万葉集で詠まれた歌に出てくるそうです。二つ紹介します。
“秋の野に、咲きたる花を、指(および)折り、かき数ふれば、七種の花”
“萩の花(はぎのはな)、尾花(をばな)、葛花(くずはな)、なでしこの花、をみなへし、また藤袴(ふじばかま)、朝顔の花”
一つ目の歌は、秋の野を歩きながら秋の七草を数えながら詠まれたものです。“七種の花”は七草のことを指します。二つ目の歌は、秋の七草を一つずつ詠み上げたものです。宝善院にも秋の七草の一つの萩が咲いていましたので紹介しておきます。水子供養の数珠掛け地蔵尊前に咲いております。お参りの際に覗いて頂けたら幸いです。写真の萩の花は白ですが、他にも薄い赤や白と赤が混ざったものが咲いています。今年は白の花が多いです。
最後に、秋の月にまつわる禅語を一つ紹介します。
“吾心似秋月”
読みは、吾が心秋月に似たり(わがこころしゅうげつににたり)です。吾が心は、仏様の心の境地をあらわしたもので、冴えわたった秋の月のようである。という意味です。佛性(仏様のこころ)は、澄み渡って曇りのない秋の月に似ているということになります。佛性はどんな人間にも備わったもので、生まれたばかりの赤ちゃんにも備わっています。ここでいう仏様の心の境地は、みなさん自身が味わい知るのみのもので、それを他に伝えるには言い表すすべはないものであります。言い表すものは無いのですが、あえて例えたのが“秋月”であります。ですので、秋月と“同じ”とはせずに“似たり”となっています。
本日は、中秋の名月です。月を愛でながら、ご自身の心を見つめる時間にしてみても良いのではないでしょうか。
本日はよく晴れそうです。中秋の名月を宝善院からも愛でさせて頂こうと思います。
水子供養と永代供養墓の京都のお寺
〒611-0011 京都府宇治市五ヶ庄三番割34-3
宝善院(ほうぜんいん)
副住職 秦 崇志(はた そうし)
電話 0774-32-4683