日日是好日

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應無所住 而生其心

2020.09.16

黄檗カレンダー令和二年九・十月の書です。

黄檗カレンダーは黄檗宗青年僧会発行のものです。

『應無所住 而生其心』

黄檗カレンダー(黄檗宗青年僧会発行)令和二年九・十月の書です。

【読み】應無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)

【書き下し文】應に住する所無くして(まさにじゅうするところなくして)其の心を生ず(そのこころをしょうず)

この禅語は、こころの在りようを顕したものです。『應無所住』の『所住』ですが、こころが一つの所にとどまることです。こころが惹かれる・執着する・とらわれたりすることです。実は、これが私たちを迷わせる根本の原因であります。それが『無』なので、こころが一つの所に住しないことになります。繋げますと、無執着であることや捉われないことが、その心を生むということになります。

即ち、見たり聞いたり感じたりするもの全てに対して心が動きたいように動きながら、とらわれないことが大切であります。そうあれば、少々の問題に当たっても、臨機応変に自在なはたらきが出来るはずです。

どうしても長く生きれば生きる程、経験値が増す分だけ物事に対してとらわれた考え方になっていってしまう様に感じています。上でも書きましたが、実はその心が人を苦しめます。『応に住する所無くして』の様に、少しでも豊かな心を持ちながら生きていきたいものです。

 

最後に、紹介しました禅語と中国禅宗の六祖である慧能(えのう)禅師との繋がりについて紹介します。この禅語は『金剛般若波羅蜜経(こんごうはんにゃはらみたきょう)』というお経の一節にあるものです。

慧能禅師は三歳で父親を亡くし、今でいう広東省新興県に於いて母親と二人で暮らされていました。家は貧しく、幼少の慧能禅師は山で採ってきた薪を売りながらの生活をされていました。ある日、薪を売りに行くと、ある家から僧侶が読経する声が聞こえてきました。そして、心に深く感じ入った一節が今回の禅語の『應無所住而生其心』でした。その後に、『金剛般若波羅蜜経』というお経であると知られました。これが機縁となり、仏門をたたくことになったのです。

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