日日是好日

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智積院(京都府京都市)

2024.01.13

宝善院での月一回行っている夜の坐禅会『夜坐(やざ)』へ参加頂いている方のご縁で、東山七条にある智積院様へ参拝させて頂きました。その方は智積院様で学芸員をされている方で、今回は境内の案内をして頂きました。実はもう一人、宝善院での教室にお越しの方が智積院様におられるのですが、当日は体調が優れなかったようでお寺におられませんでした。その方ともお会いできることを楽しみにしていたので残念でした。

ご縁があり、智積院様へお参りさせて頂きました。 宝物庫には長谷川等伯一門による国宝の障壁画が展示されています。

今回は先ず、上の写真二枚目の展示収蔵庫である宝物館を案内下さいました。この施設は『弘法大師空海ご誕生一二五〇年』の記念事業の一つとして昨年の4月に開かれたもので、真新しい印象の建物でした。中には、徳川家康朱印状の智積院での決まり事などが書かれた『智積院法度』やお寺の領地を示したものなどが展示されていました。奥に行くと、長谷川等伯(とうはく)一門による国宝の障壁画が展示されていました。四季を障壁画の前には腰掛があり、そこに座って少し見入っていました。障壁画の撮影は禁止でしたので、右に智積院様のHPで紹介しているページを貼り付けておきます。【国宝障壁画/智積院HP

国宝障壁画について (智積院様パンフレットより)

桃山時代に全盛期であった狩野(かのう)派に対抗し、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた祥雲禅寺の障壁画のうち、智積院に現存する絵は、楓図(かえでず)、桜図、松に秋草図、松に黄蜀葵図(とろろあおいず)、雪松図、松に立葵図等です。このうち特に桜図と楓図は、日本の障壁画を代表するものとして世に知られています。桜図は長谷川久蔵(きゅうぞう)25歳の作で、二本の桜を中心に、八重の桜を蒔き散し、画面は大胆な構図のもと、春爛漫の景を描き出しています。作者久蔵が26歳の若さで急逝した翌年、父等伯が哀惜の情を振りきり、自己の生命力を画面一杯に傾けて楓図を描き出しました。画面中央に描き出された幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的な表現、それら全てが和合し生き生きと絢爛豪華(けんらんごうか)に描かれています。

智積院の講堂にある名勝庭園を眺めながら一息ついています。

展示収蔵庫の後は、本堂・利休好みの庭とされる名勝庭園がある講堂・大師堂などを案内頂きました。本堂には立派な大日如来坐像がお祀りされていました。上の写真は、一緒にお参りした方々と講堂の縁側で名勝庭園を眺めながら少し休憩しているところです。手入れが行き届いた庭に自然石だけを用いた庭に皆さん見とれておられました。縁側の手前には池があり、案内を頂いた方が言われるように縁側の下を覗くと縁側の真下まで池が広がる作りになっていました。この季節とはまた違う素敵な庭になっているであろう新緑の頃にまた改めてこの縁側に座りたく感じました。以下に智積院様のパンフレットより沿革を紹介しておきます。

智積院の沿革(智積院様パンフレットより)

智積院は真言宗智山(ちさん)派の総本山として現在全国に約3千の末寺を擁し、その中には成田山新勝寺、川崎大師平間寺(へいけんじ)、高尾山薬王院の大本山を始め、高畑山(たかはたさん)金剛寺、大須観音宝生院の別格本山があり、檀信徒は約30万人にのぼります。真言宗は弘法大師空海上人により開宗されましたが平安末期になると宗勢は衰微してしまいます。その時鳥羽上皇の信任を得た興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばんしょうにん)が高野山に登り真言教学を再興しました。晩年鑁上人が移り住んだ紀州(和歌山県)根来寺(ねごろじ)は、最盛期の戦国時代には坊舎2千7百余、住僧6千、所領70万石を数えるまでに勢力が拡大し、中でも智積院は真言教学を学ぶ学問所として隆盛しました。天正13年(1585)、根来寺は豊臣秀吉に全山を焼き払われてしまい、智積院の学頭(最高指導者)玄宥(げんゆう)僧正は、根来寺の再興を願いつつ多くの学僧とともに高野山、京都と難を逃れていました。元和元年(1615)徳川家康は秀吉が愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺を智積院住職の能化(のうげ)に寄進、以来『五百仏山(いおぶさん)根来寺智積院』と称し、学山としての伝統を保ち、法燈絶えることなく今日に至っています。

智積院の本堂です。立派な大日如来さまがお祭りされていました。

この智積院様の寺紋が宝善院でも大切にしている桔梗(ききょう)で、境内の至る所に桔梗の紋が使われていました。桔梗の咲く頃には境内にたくさん咲くようです。また、豊臣秀吉や徳川家康の影響が深く現れています。豊臣家と徳川家の因縁のような逸話もあり、とても興味深かったです。

この度は、お忙しいのにも関わらず境内の案内を頂き感謝しております。まさか、宝善院での坐禅会のご縁でこの様にお寺へのお参りの時間が出来るとは考えもしていませんでした。ホッとする良い時間でした。ありがとうございました。

水子供養永代供養墓の京都のお寺
〒611-0011 京都府宇治市五ヶ庄三番割34-3
宝善院(ほうぜんいん)
副住職 秦 崇志(はた そうし)
電話 0774-32-4683