黄檗カレンダー令和四年五・六月の書です。
黄檗カレンダーは黄檗宗青年僧会発行のものです。
『啐啄同時』
【読み】『啐啄同時(そったくどうじ)』
母鳥が卵を産み・温め、ある期間が過ぎると、卵の中の雛が育ち、殻を破り孵化します。その時、雛鳥が卵の中から殻をコツコツと突くことを『啐』といいます。それに合わせ良いタイミングを見計らって、母鳥が卵の外からコツコツと殻を突くことを『啄』といいます。そのタイミングが大切で、同時に寸分違わないところを『啐啄』しないといけません。強すぎても弱すぎてもいけません。すべて雛鳥のいのちにかかわっていきます。お互いの息が丁度合わないと、うまくいきません。
禅門に於いて、師と弟子の間でも大切とされています。これは、禅門以外の師匠と弟子という関係では大切です。もう少し言えば、親子・夫婦・友人同士でも大切ではないでしょうか。すべてのものの機縁を見計らい、それを授ける方も受け取る方もそれを生かすだけの境地に至っていなければいけません。
丁度一年前に紹介させて頂きました『一期一会』という禅語ですが、これは井伊直弼(いいなおすけ)著「茶湯(ちゃのゆ)一会集」の冒頭からきた言葉です。そこには、「主人は万事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し、客も此会に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るべき也、是を一期一会といふ。」とあります。お茶会に於いて、主人はすべてのことに心を配り、客を誠心誠意もてなす。それに対する客も、この会を有難きものととらえ、亭主のおもてなしを誠意をもって受け取る。客をもてなす亭主のまごころ、それを受け取る客のまごころ。これも『啐啄同時』に通じるものといえるのではないでしょうか。どんな時でも啐啄の機であります。
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